2015年12月31日木曜日

2015レコオヤジこの一枚!

Kue Onde / Benjamin S.



年々、高騰していくインドネシアのレコードには興味がなくなっているが、ベニャミンだけは特別なのだ。

1995年8月初旬、独立50周年の大規模ダンドゥット・コンサート(通称:スマラク・ダンドゥット)に備え早々ジャカルタ入り。ブタウィ文化臭が漂う、JL.Jaksaにいつものように宿を取っていた。ある夜、知人と二人でグロドックのダンドゥット・ディスコに入り浸っていた。調子こいて朝帰りしてみると、宿のおばちゃんから「昨夜、ベニャミンがここにきてたのよ」どうやら小規模のコンサートをやったらしい。「マジで、だってそんな情報どこにもないし、だれもいってなかったよ」オイラは泣きそうにおばちゃんに返答した。まぁ、よくあることだ。「次には絶対みるから」とおばちゃんと話す。しかし次がなかった。オイラが帰国した9月にベニャミンは急死してしまう。何たる失禁、いや失態、もう二度とBang Benを観れないのか!悔やみに悔やんだ。インドネシア音楽人生で最大の汚点だった。そのことがトラウマになり、20年経過した現在でもべニャミンのレコだけは何とか集めている。




一応、ベニャミンのデビューは上記本にも記載され、本人も認めている「Si Jampang」という10吋だが、どうもあやしい。EP盤と10吋の発売年数の差異とかを検証してみないとわからないが。オイラには上記Mesra盤は「Si Jampang」より前ではないかと疑っている。こうしたVAものは、オリジナル盤に比べ軽視されるのがインドネシアだ。もちろん上記本には一切この盤の話は出てこない。

ベニャミンはデビュー前 、クラブ等で欧米のポップス、R&B、ブルース等を歌っていた。60年代初期。しかし目が出ず、誰もやってないガンバン・クロモン(以下GB)に目をつけた。そこから売れるのである。上記EP盤の一曲は、BenがGB着手する以前の臭いがするし、ジャケのイラストも異常に若すぎる。バックのOrkes Prima Nadaの演奏もどこか60年代初期のような.....ちなみにROSSYなる女性は後にBenと何枚か共演する女性歌手だ。彼女もジャケを見る限り、まだ痩せていている。何の確証もないが、オイラのベニャミン魂をかきたてられたEP盤であることは間違いない。こういう話はジャカルタにあるBenのギャラリーに行ってわかるだろうか。オイラ的にはBenのコレクターと話した方が話は早いような気がするが。いずれにしても、この盤の存在で来年目標ができたわけだ。しかし、ほんとに来年ジャカルタに行けるのか...トホホ.....

2015年12月28日月曜日

2015年中古インドネシア・カセットベスト10



①Layang Pungkasan / Wiwik Sumbogo


今年の収穫は何と言ってもインドネシアで一番好きな歌手、ウィウィ・スンボゴのカセットを何本か入手できたことだ。そういえば、彼女はその昔、P.ヴァインから発売さてたダンドゥットのコンピレに収録されていたんだよなぁ。またその昔、彼女がスマラン出身だというのでスマランまで会いに行ったこともあったなぁ、会えなかったけど。

しかしこのカセ、オリジナルかなぁ、怪しい。ジャケデザイン的には90年代初頭ぽいのに、内容は80年代だろう。盤権移譲して再発なんでは...まぁ、いずれにしても素晴らしいアルバムだ。ウィウィの頬杖ジャケもいい。

「Tembang Jawa Cantik」(かわいいジャワの歌)と言うことだが、本当にウィウィの声が可愛い。優美なクロンチョン ・アレンジ(時折、チープなキーボードも入るがこれがまたいい)が大半を占めるナイスなバック陣、オイラが今まで聴いて来た彼女のアルバムでは最高峰だろう。演奏者のクレジットがないのが残念だ。もう一本、P2SC時代のカセも入手したが(どこにあるか探せない)あのカセも素晴らしかった。


② Mesam-Mesem / Sumiyati


 東ジャワ、バニュワンギ、クンダン・クンプルの女王スミヤティのロカナンタ録音カセ。知らなかった。何が楽しいかって、バックのO.M. KENDHANG  KEMPUL表記が示す通り、完全にダンドゥット・ナイズされている。今でこそ、普通だけど。これほどナイスなO.M.臭が漂うクンダン・クンプルのカセは聴いたことがない。ギターがめちゃカッコいい。スミヤティの歌も脂がのってるし。こんなカセが国営レーベルから出ていたんだから、スハルト政権とはいえ、いい時代だよなぁ。クンダン・クンプルの帝王?Arif M.も一曲参加。


③ Luntang Lantung /  Gambang Kromong Kumala Sakit






















四半世紀以上に及ぶインドネシア音楽人生に老いて、今年ほどガンバン・クロモンのカセを聴いた年はなかった。ピンキリ、いや、だから楽しいのだ。ベニャミンとも交流があり、数々の名曲を世に送り出してきた、JOKO S.率いるこのカセ。いや~笑わせてもらった。2曲目の「Jali Jali 135juta」は最高!ロマ・イラマの「 135juta」のカバーだ。あのメッセージ色の強い曲を、こなんにだるいアレンジで、しかも、どこかザンジバルのターラブ風に。インドネシア人にはたわいないカバーだろうけど、特にロマ信者とかね。このセンスは大好き。JOKO Sの足跡を知る上でも貴重なカセだ。


④ Makan Hati / Rita Sugiarto & Jacky Zymah





















今年5月、オイラが最も敬愛するダンドゥット・アーティスト、マラ・カルマが逝ってしまった。ダンドゥット界の筒美京平、いやオイラにはそれ以上の存在だった。彼は、ソロと平行してこの二人のオルケス、O.M.Jacta Groupにも参加していた。本カセットではアレンジャーだ。切れ味のあるギター、幅のあるアレンジ、本作を聴くとその後、確固たる地位を築いて行くスタートと言える音源が詰まっている。20年以上前、エルフィ来日公演で彼の姿を見た切り、というのが何とも情けない。きちんと話をしておくんだったと、このカセを聴き後悔する2015年だった。


⑤ Mpok Lilis Jaipongan / lilis Suryani & Iyong


 70年代末と思われるカセ。さすがにリリスもおばさん風のジャケだ。ポップスンダとジャイポンの融合作としては名作だろう。時代的にまだチープなシンセに頼らないポップ・スンダ風演奏とコロコロと転がるようなグンダンのジャイポン臭。二人のDuetは時折、ベニャミン&イダ・ロヤニを彷彿させる。クリーム「Sunshine Of Your Love」風なギターリフB5 Pesta Jaipong / Iyong が秀逸!


⑥ Orkes Melayu Delima






















初めて知るオルケスのカセ。A-1「Batik Pekalongan」はエルフィ&マンシュールもカバーした名曲。
ジャワ島北岸の町のバティックを歌った曲だ。果たしてこれがオリジナルなのか....IdrusHasniとDuetするIda Sanjyayaは後にダンドゥット歌手として少し成功した彼女だろう。OM時代の良質な部分を残した演奏で、もしかしたらレコードがあるかもしれない。複数の歌手の音源を収録。ナイスなオルケスだ。ちなみにリーダーのMONO SANJAYAはIDAの旦那かしら....

⑧ Jamu Gendong / Dariah






















タルリン界の女王DariahがHajahを名乗っていないカセは初めて見た。つまりこの時点ではメッカ巡礼に行っていないということか....さすがにジャケが若い。細身で初々しさも残る。あのふてぶてしさがないのは少しさびしいが。バックがOMを務めている通り、ほとんどタルリン・ダンドゥトの世界だ。まだこの時期(70年代後半?)はタルリン・ダンドゥットが試行錯誤していたかのような音が聞こえてくる。


⑨ Jauh Sudah / O.K.Swadesi





















まず、ジャケのイラストが素晴らしい。オーソドックスなクロンチョンながらもスタンダードなナンバーは一切やっていない。フルートではなくスリンを使用しているのもオイラ好みだ。ヴィブラートを効かせたSudarmoのヴォーカルもナイス。珍しく、ミュージシャンのクレジットもあり、カセット時代のナイスなクロンチョン ・アルバムをさがすのにも役に立つ。

➉ Pop Sunda Vol.2 Bersama Band De Sonic & Band Estika





















これは長年探していたカセ。ヘティ・クス・エンダンがまだHetty Kusmadewiを名乗っていた時代のポップ・スンダ。当時(70年代後半?)人気のあったMus D.S.とコラボした作品。バンド演奏もナイスだが、ヘティも若い。ジャイポンの名手タティ・サレ(ジャケ写上)の快演もうれしい。


今年も約60本以上の中古インドネシア・カセットを聴いてきたが、抜け、劣化に耐えながらも何とか凌いだ。 カセット時代にしかありえない音作り、時代の臭いを大いに感じさせてもらった。数々の名盤、迷盤を提供してくださったプランテーション・レコードには本当に感謝は尽きない。また、来年もお願いしたい。

2015年12月26日土曜日

2015 レコオヤジ・ベスト・アルバム



例年通り、よく聴いた順。アジア歌謡の面白さが、確実にインドネシア、タイ、マレーシアからカンボジア、ベトナム、ミャンマーあたりに移行しているのを実感した年だった。先述した3つの国からはオイラの嗜好を満たしてくれる快音達は今年、聴こえてこなかった。

熱心に聴いて来たギリシャやトルコも同様だ。「わるくはないけど」あたりで止まってしまったアルバムがいくつか、という状況だった。

一方で、全く期待していなかったアフリカものがダントツに面白い年だった。 

①SOKUN NISA & PEAK MI / KAL KHNHOM NOV KMENG

今年の収穫は何と言ってもカンボジアの女性歌手ソークン・ニサとの出会いだろう。オイラ的にはアジアでNO1の歌手だと思っている。とどのつまり、アジア歌謡は歌手なのだ。いつの時代もそうだった。残念ながら、ソロ・アルバムというスタイルがカンボジアにはない(稀にあるが)以上、VAものCDやMVを片端からYOUTUBEで観るしかないのだが、東名汁出っ放しの彼女はこれからも追っかけるしかない。

 

②FEMI OORUN SOLAR / GRACE.OORE OFE

 


次作DIVINE LEVELも次のMY TIMEも聴いたけど、ちょっと後退している気がした。やはり本作がダントツでしょう。


AIDA SAMB / SARABAA         ④ADIOUZA / LI MA DOON

ヴィヴィアンなんてクソくらえ的なンバラ女子最高でした!


 

⑤MINYESHU / BLACK INK ⑥THOMAS MAPFUMO & THE BLACK UNLIMITED / DANGER  ZONE

 

   エチオピア系では⑤が一番面白かった。⑥のマプフーモ、ムトゥクジ同様、チムレンガオヤジ魂健在で嬉しかった。もう、ライヴ見れないのかしら..

 

⑦JACKIE OATES / THE SPYGRASS & THE HERRINGBONE

 

 トラッドは彼女しか聴かない。遂に顔前面ジャケに踏み切ってしまったが、容姿とは裏腹にエロ・オヤジワールド音楽ファンに、常に東名汁を醸し出させてくれる美声、濃ゆい音楽を聴いているオイラには本当に癒される女子。

PALENQUE LA PAPAYERA / RAMON EN PALENQUE

⑨ DELE ABIODUN / LAI SE LAI RO, DAWA LOHUN BABA

V.A. / HIGHLIFE ON THE MOVE

 





⑧カリブもので一番聴いた。もう少し歌が入っていたらもっと楽しかったのに。⑨は知りませんでした。日本でも出ていたのね、レコが。


実は今年一番よく(昨年から)聴いたのがくるり「THE PIER」と大滝詠一のNIAGARA MOON 40th Anniversary...だった。何せ77年のナイアガラ・ファーストコンサートに行った(高2の時)身なのでLIVE音源のCD化は感慨深いものがあった。オヤジレコードでも一部UPしているけど。



今年も素晴らしい音楽に出逢えた。エル・スールレコーズとエル・スールオヤジーズに感謝。 

 

2015年12月15日火曜日

<津田先生以来、再びエル・スールオヤジーズ突撃隊>

今年はトルコのいいCDがないなぁ、と思っていたら年末になってAlaturka Recordsのコンサート。これは絶対行かねばと思い行ってきた。ツイッター上でオヤジーズとのやりとりで、二人の看板美人歌手、Yaprak SayarとHamide Uysalが来ないのはわかっていたが、..

何でもAlaturka RecordsのスポンサーにTurkish Airlinesがついたようで、世界の各国で精力的にコンサートをやっているようだ。アンプラグドな楽器編成ながらもトルコのクラシカルな曲を力強く&優雅に聴かせてくれた素晴らしいコンサートだった。月曜なのに無料ということもあってか、8割くらいの入り。まぁ、トルコ好きな人達だろうけどね。このレーベルのコンサートと知って来たのは、おそらくエル・スールオヤジーズだけだろう。だってCDを扱っていたのは、エル・スールレコーズだけだもん。

こういう無料の文化交流的(当然ながら日本の歌手、三味線、尺八他の演奏者も登場)なコンサートは、ガードが甘い。オイラは最初からCDにサインをしてもらうつもりでいた。つまり、コンサート終了後の楽屋突入を考えていた。コンサートが始まる前に、トルコ航空東京支社長の挨拶。派手なネクタイで笑ったが、「コイツだ」と思った。この人に話をつけてサインをもらえるように頼んでみよう。コンサートの第一部が終わり、休憩。あの派手なネクタイを探し、拙い英語で話をすると秘書みたいな人に「私達はこの場所を提供しただけだから、あそこにいるステージ・マネージャーに聞いてみては」と日本語で言われ、すっ飛んで、そのステージ・マネージャーの所へ。CDを見せ、「どうしてもサインをもらいたい」と嘆願。「では終了後に楽屋へ来てください」と快諾してくれた。全て日本語だった。コンサート終了後、その人に案内され楽屋へ...

着替えを待ち、まずは男性陣の楽屋へ。トルコオヤジ臭漂う心地よい空間。クラリネットのおっちゃんが、明るく対応してくれたおかげで、いろんな人にサインをもらい握手。楽しい時間だった。そして、ロビーで女性陣 へ。まぁ、正直、おばさん達ばかりだけど興奮した。オイラ達がYaprak Sayarと妄想していたGUL YAZICIさん、美人だったなぁ。今回のコンサートで一番のお気に入り歌手のESMA  BASBUGさんと握手できたし、M.DOGAN DIKMENさんと肩を組んでパチリできたし、いや、ちと尻に触れたかも....最後はKALANから出た新作CDをもらって(オイラの分がなかったが..)しまうおまけ付。さすが、エル・スールオヤジーズ突入隊だぜ!

で、当然ながら新橋で一杯やる。男性陣の歌唱力が素晴らしかったこと、フィリピン・ジョーが来年のエル・スール新年会、三線で月亭課長をやるかもしれないという話、etc..オヤジーズの反省会も盛り上がった。月曜からオヤジーズはエンジン全開。結局、昨夜の Alaturka Recordsコンサート、ブエナ・ビスタのトルコ版かもと話は落ち着いて散会。お二人ともお疲れ様でした。


2015年11月30日月曜日

<忘備録>

11月30日。 介護職に就いて5年半、初の4連休(もう二度とないなぁ)最終日。本当ならこの連休で大阪へ行きたかったけど、義兄の介護認定の問題とかあって叶わなかった。でも、楽しいこと沢山あったし、それなりにリフレッシュしたし...

今日は先ず墓参り。線香を買いに寺に入ると見たことのない写真が貼ってあった。昭和6年当時の京急港町周辺の写真で、初めて見た 。既に日本コロムビアのマークが燦然と輝いている。住職の話だと、近所の人が持って来てくれたらしい。オイラの父親が日本コロムビアに入社したのは、戦後。昭和40年代のこの辺の写真はガキの頃見せてもらった記憶があるが、さすがにこの写真には驚愕した。で、案の定、港町駅でいつものようにジャケトの写真を撮る。

次はマフラー探し。大阪時代の苦い思い出があるマフラーを昨年全部捨ててしまったので、最近襟元が寒くて。2週間ぐらいすっとオイラ好みのものを探していたが、見つからず。やっと出逢えた。ちょっと嬉しい。

ランチは大森西友内のインド料理「Shakti」でランチバイキング。いつもなら大森キネカに50円割引のチケットがあるので、 930円なんだけど、その割引チケットがなく、泣く泣く980円。その代わり写真のセットを3回食べた。質(それほど悪くない)より量、ダイエットを忘れ腹が苦しくなるほど食べた。

食後は大森キネカで映画「ベトナムの風に吹かれて」を観る。介護とベトナムという二つのキーワードがこの映画を観た理由。意外にもベトナム在留日本兵の話やベトナムの大女優が認知症~最期を迎える話も織り込まれていて、まぁ、わるくはなかったかな。音楽はトホホ..松坂慶子のアオザイがもう少しセクシーでもよかったかなぁ。客は100%中高年以上。たぶん、オイラが一番若かったと思う。

介護職は盆 暮れ 正月なし。明日から12月。ちょっとリフレッシュできたので、良しとするか。泥酔。

2015年11月29日日曜日

<11月28日、今年最高の一日だった>

エル・スールレコーズへ行くと、先客でYさんがいた。先日の家宝級の写真をもらう。スウエーデン人の美女の前でアバの「ダンシング・クイーン」を歌って踊ったことで、オイラが「面白い人ね..」になったようだ。オイラの影響か、彼女が家宝級のあとにカラオケへ行って「ダンシング・クイーン」を歌ったという話が最高に楽しかった。

少しすると師匠が登場。糖質ダイエットの話をする。正直、オイラもこのダイエットを続行するか、いま悩んでいる。ホネカワスジエモンになり過ぎた。ジムの風呂を上がって自分の体を鏡で見るとヨボヨボの爺さんに見えるのだ。痩せるのもいいが、年相応の肉体にならないと、しかし、洋服のサイズが....トホホ...

次にシャバコが登場。エルスール顧客の中では一番マメに通う若手だ。相変わらず、お酒が入ると豹変する。昨夜も師匠の股間を触ろうとしていた。宇宙一醜い写真を撮ってやった。

ちびちび飲んでいると外人さん団体が入店。聞けば、アルジェリア人(ベルベル系)の歌手の人であるようで、ライブのあとに店に寄ったようだ。ラシッドさん、めちゃカッコいいので写真を一緒に。ファンになりそう。弟さんが神戸でアルジェリア料理店をやっているみたい。この弟さんのなんちゃって関西弁が痛快だった。オイラも大阪在住時に同じようななんちゃって関西弁を操っていたから余計に楽しかった。一緒にいた方(フランス人)のストールが可愛かったので、褒めてたらそのストールをプレゼントされて感激してしまった。オイラもそんなダンディなオヤジになりたいと...

また、少しすると、今度はインドネシア・レコ(ロカナンタ10吋 )を持参された方が入店。そのレコを肴に師匠と久しぶりにインドネシア・レコの話をした。有意義だった。

と、携帯がなる。そう、昨夜のメーンは憧れのRさんとの初デート。お店をどこにしようか、悩んだ挙句、「なるきよ」にした。あいつには、いろいろ世話になってるし..いや、彼にレコードを売って飲み代をまけてもらおうという、セコイ魂胆もあった。Rさんとのお話、いろいろたのしかったなぁ、いただいた和菓子もおいしかった。最高の夜だった..と言いたい所だが、オイラが「なるきよ」に行くことをエルスール店長に話してしまったので、オイラとRさんがいい雰囲気で飲んでいると、店長と師匠が店にやってきた。なんだか、保護者に見守られてる初デートのようだった。 でも最高!!美味しかったし。

帰る時になるきよにお弁当をもらう。しかし、この家紋?は何なのだ。あいつらしいとほくそ笑む。

一日にこれだけ楽しい方々にお会いできて最高の一日だった。くしくも母の命日だった。

残念ながら、エルスールでスマイリーオオタケさんにお会いできなかったのが、悔やまれるが..

2015年11月15日日曜日

昨夜、久しぶりにエルスールでSさんに逢う。このアルバムが好きということで、さすがだなぁ、と思った。新橋のおもしろうそうな飲み屋を教えてもらったり、短い時間だたが、有意義な会話だった。Sさんが着ていたGAPのコートがかわいかったなぁ、男性用らしくオイラもほしくなった。
 
是非、インドネシア・カセット争奪戦金沢杯をお願いしたい。なぜならオイラの周りには30代~40代前半の人達で古いカセットをさがしている人達が10人ぐらいいる。残念ながら彼はら世代的にインドネシアのカセット文化を体験できなかった人達。何とか次の世代に繋げていくためにもお願いしたい。
 
そういえば、オイラは羽田空港時代、ボンバ・レコードの面接をうけて、見事に不採用だったのだ(笑)

2015年11月5日木曜日

1995 8.19 Live Di JAKRTA
この日、モナス周辺では独立50周年を祝うべく、いくつかのステージが作られた。各々のステージでは様々なミュージシャンがライブを行う。我々ジャカルタ兄弟は運よく、その時が旬のダンドゥット・アーティストがライブを繰り広げるステージに遭遇。いや、ちゃんと情報取集をした結果だった。
個人的には、このライブは四半世紀のダンドゥット人生において最高の一曲だと思っている。後にも先にも、このマイケル・ダンドゥットを超える楽曲、いや、彼女のような踊りを披露するアーティストはもう出てこないだろう。これでムーン・ウォーカーまで踊られていたら気絶していた。オリジナル音源では味わえない、ライブだけの醍醐味だったのだ。ちなみに、司会はイチェ・トリスナワティの元旦那のEDDY SUDで05年に他界。
実は、この10日ぐらい前にも彼女のライブを観ているが、野外の大きな会場だったため、臨場感に欠けた。そこでは彼女と少し話したが、普段はおとなしくてかわいらしくて、ステージとのギャップが...90年代を代表する大好きな歌手の一人なのだ。

2015年10月18日日曜日

<家宝級の夜>

いや~楽しかった。美女軍団&選曲むちゃくちゃでしょ。スゥエーデン人美女の前でアバの曲、「YOU CAN DANE...」と歌うし。「レコファンNO2みたいになるな」とダウンタウンレコードの店主に説教&ナカレコさん経由の若者にも説教。唯一の救いは、アキラにあげたレコプレゼントを彼女が喜んでくれたこと。オヤジは救われたぜ!フロアが空いたので自分でダンドゥットかけて、自分で踊るし。四半世紀以上付合いのあるH氏のこんな姿初めて見たし。素晴らしい夜でした。
<家宝級の夜>

いや~楽しかった。美女軍団も選曲も。むちゃくちゃやろ。酔って、レコファンNO2みたいにならないようにと、ダウンタウンレコードの店主を説教してるし。「YOU CAN DANCE...」てアバ歌うし。フロアが空いたので自分のかけたダンドゥットで踊っているし。四半世紀以上も付合いのあるH氏のこんな姿初めて見たし。楽しすぎた....

2015年10月14日水曜日

メチャ、真剣に読んでる。仕事柄、いや、将来の自分がここにあるから..「自分はそうならない」そういう奴が一番危ない。そんな人を何人も見てきたし..まぁ、時間があったらこの二冊のオイラの考えをブログに述べるとしよう。

2015年10月6日火曜日

全国競艇ソング 第1集



先日、酔って、やふ億を見ていたら、このレコに4700円の値がついて、入札者が一人いた。何なのだ、「和モノ」とかつまらないこと言っている輩なのか、それとも熱心な競艇ファンなのか、どうでもいいけど、オイラは300円でその昔入手した。なぜなら「平和島競艇ソング」が収録されていたからだ。

70年代前半の小学生の夏休み、学校のプールがない時は、ひたすら平和島プールに通っていた。当時、平和島温泉の隣にあった、ウォーター・スライダーがあったプール(名前忘れた)は、入場料が高くて行けず、もっぱらその先にある区営プールだった。100円。ちなみに、この区営プールには、芝生のくつろげるスペースがあって、若いアベックの女性の方が、乳ポロリをしていたのは、今でも忘れられない。

プールに行く途中に橋があり、そこからよく競艇開催時に上記ジャケのような光景が観れたのだ。プールの帰り、よくその橋の上でオヤジ達を観察していた。いや、オヤジ達が捨てる赤鉛筆を拾いに行ったのだ。学校で使おうと思って...

競艇場に入らないのか、入る金がないのか、よくオヤジ達がその橋の上からやれ、「させ」「まくれ」「かませ」と怒鳴っていた。小学生だったオイラ達は何を言っているかわからず、「でも、何かたのしい」という実感があって病みつきになった。

ある夏の日のプールの帰り。友人がオイラにささやく。「あれ?あの人、プー(オイラの小学校のあだ名)のオヤジじゃねぇの」よく見ると、オイラの父親だった。当時、オイラの父親は失業中だった。今から思えば、大森の職安へ行った帰りなのかと思うが、その時は「母ちゃんがパートで頑張っているのに」と泣きながら帰ったのを覚えている。

「出るか大穴 好レース「さし」と「まくり」の平和島 」 平和島競艇ソングの歌詞を聴くたびに、その時の光景がよみがえってくる。いいも、悪いも70年代前半だ。

第2集があるのか、オイラはしらない、いや、興味がない。

2015年9月20日日曜日

エル・スールレコーズで玉に逢う、インターFMでもDJやっていたJAMESのアフリカ音楽イベントへ行こうと(@Li-Po)思ったが、その前にエル・スールレコーズへ寄って行こう。ちょっと一杯のつもりで缶ビールとつまみを買って(もちろん店長の分も)。これが、おケツ、いや、墓穴を掘った。

エルスールに入るやいなや、店長開口一番!「さっきまで、ヒトミさん、来てましたよ」と聞く。えええ、コントン美女軍団の一人、ヒトミちゃんが!!ヒトミちゃんとエル・スールで出逢うことを夢見ていたオイラ、何とニアミス!こりゃ、今日はついていないと佐山 聡。

缶ビールもなくなり、エルスール・レコーズ特製の前割り焼酎を飲んでいると、スチャラカさんが登場!もう、こうなると、プチ・エルスール・オヤジーズ飲み会に突入だ。店長のウンチク聞きながら酒はススム君。アルセニオの10吋に二人で驚愕する。ジャケはないが記念に写真を撮る。

少しすると、キクチ君がMoussu TとエルスールがコラボしたTシャツを行商に来た。スチャラカさんはかったけど、オイラはサイズがLしかなかったので、断念。 キクチ君が来たついでに、オイラが好きなメキシコのレコジャケの写真をムリヤリ撮って記念にした。

結局、22時まで飲んでいた。いや~、レアな音源を沢山聴かせてもらった、有意義な夜だった。

さて、肝心のJAMESのアフリカ音楽イベントへ(@Li-Po)へ行く。久々に逢うマダムのボーダーシャツがかわいかった。オイラの持っているメンズ・メルローズのボーダーと似ていたのだ。書いているオイラ、もちろん泥酔です。

2015年9月14日月曜日

オヤジになればなるほど、地元愛が強くなるのかなぁ。蒲田と大森の中間に位置する我が家。京浜工業地帯のナイスな雰囲気をを感じるならば、蒲田だろうけど、東京23区の田舎、どことなく漂う昭和臭、好きなんだよなぁ、大森駅近辺が。やはり地元愛か...
久しぶりなの連休なので、散策してきた。まずは気になっていた南インド料理店「ケララの風Ⅱ」へ行ってきた。11:30からのランチ、既にオープン前に若い男女が店前に。、オヤジはオイラだけ。シンプルな味でいいんだけど、どこか物足りなさも感じた。きっと、ウォークマン聴いて食べていたからかしら。昨日、スぺ男に焼いてもらったTHE JAM「LIVE AT  WEMBLEY DECEMBER 3RD 1982」をガンガン聞いていたし。
 
次くるかなぁ、と店をでてブラブラ歩いてると宮古居酒屋に出くわす。看板が嫌いなので、たぶん来ないだろうと通り過ぎる。隣に弾き語り喫茶みたいなのがあり、興味を示すが、今さらなぁ、と思い通過。その店の前に変なスタジオがあったので興味を示す。ギターを少しでも弾けると、いろいろと教えてくれるbarみたい。本日のおすすめにちょっと惹かれる。
 
大森界隈に来たら締めはここだろう。大森海岸のソー〇ランドを観に行く。しかしなくなっていた。以前、ここのネオンサインを見に来たのが3年前だ。またしてもオイラの中の昭和の灯が消えてしまった。
 
そんな寂しい思いを引きずりながら帰宅途中、ちょっと和む手書き看板を見る。いいなぁ、帰って、くるりが京浜急行を歌った「赤い電車」を聞く気になった。
 

2015年8月30日日曜日

38年目の再会!



小学校4年~6年まで一緒のクラスだった田中君のお父さん(以下Tさん)はタクシーの運転手だった。このジャケと同じくkm(国際自動車)タクシーだったのだ。ただ、車はもっと新しかったが..

田中君の家に遊びに行ったのは、彼の家が土曜のお昼は毎週カレーだという噂がクラスに広まり、食べた奴が「すごくおいしい」と言い始めたのがキッカケ。貧乏(オイラも含め)なガキはそんな噂に飛びついた。「こんど俺達もごちそうになりたい」と田中君の家にムリヤリ押しかける。するとTさんが休憩なのかカレーを食べていた。「よく来たなぁ、沢山たべろよ」と言われた。確かに美味しくて、何度も押しかけるようになる。

ある時、Tさんは「じゃぁ、ドライブでも行くか」と言ってオイラ達をタクシーに乗せてドライブに連れ出してくれた。家に車なんかない貧乏なガキ達は大はしゃぎ(だいたいオイラが自転車が買えたのは中学になってから)だった。

Tさんは歌好きみたいで、ラジオなんかつけず、運転しながらオイラ達に自慢の歌を聴かせてくれた。最も印象に残っているのが小林旭「自動車ショー歌」だ。あと、「恋の山手線」。小林旭と加山雄三が得意だったようだ。後にオイラがこの二人の映画を何度も観るルーツがここにある。

田中君の家のカレーブームも去り。Tさんも個人タクシーになり、いつしか貧乏ガキどもも、卒業する。

オイラが本格的にレコードを買い始めたのは、77年の高1の時。バイトした金を握りしめてレコ屋を転々とブツを漁っていた。高1の夏、蒲田の「えとせとら」でレコを漁っていると上記レコと遭遇!真っ先にTさんを思い出した。「kmのマーク入っているし、ほしいなぁ」と思ったが、その当時で2400円の値がついていた。「高いレコード店だなぁ」と思い、他を見てみるとPYGの田園コロシアムのライブ盤が5万円。「ここは、俺が来るレコード店ではないな」と高1ながら悟った。しかし、それ以来上記レコには38年間出逢えなかった。

今回、ナカレコさんのおかげで、38年ぶりに上記レコを入手できた。感慨深い。果たしてTさんは生きているのか、交流がないので、知るすべもないが...

「乗せたお客が 可愛い娘 こんな恋人いたならば バックミラーに 目をやって
 はかない夢を追う 夜の街」という4番の歌詞が、オヤジになったオイラには、妙に沁みる...

徳川一郎、ナイスな曲は他にもあったと思うが、思い出せない。

2015年8月11日火曜日

久しぶりに聴くマンダリンものカセット!



スハルト政権下時代、公には中国語の使用は禁止されていた。もちろん曲も聴けない。まぁ、地下では香港や台湾のカセットが海賊盤仕様でうられてはいたけど...ネットなんかない時代だ。

そこで生み出されたのが、「ポップ・マンダリン」という音楽ジャンルだ。中国、香港、台湾などの楽曲をカバーしたりパクったり、いろいろあった。それらは全てインドネシア語。「インドネシア語だったら文句はねぇだろ」当時、カセット業界を牛耳っていたのはほとんどが華人だ。発想がすばらしい。テレサがインドネシア語で歌ったアルバムがあるのもその流れだろう。

スハルト政権崩壊後、絶滅してしまった「ポップ・マンダリン」だが、久しぶりに聴いた。しかも上記カセットの表記は「Gambang Kromong Dangdut Mandarin」直訳すれば、中華風ダンドゥットのガンバン・クロモンだろうか。むちゃくちゃなジャンル表記、誰が買うのか、オイラが買う。

ガンバン・クロモンは中華文化の影響をもろに受けた大衆音楽だが、ブタウィ文化に溶け込んでしまってあまり中華文化を感じられなかった最近、改めて考えさせられるカセットが上記だ。なんかしっくりくる。A1はLavenia - Melody Memory のカバーだ。その時点で笑える。確か、台湾曲だったかのカバー曲だ、いや香港かな。B1の「Lingling」が素晴らしい。ガンバン・クロモンを積極的にリリースしてきたレーベル(もうないよなぁ)未知数のカセットが残っていそうで楽しみだ。

参考MV:https://www.youtube.com/watch?v=_4-HTgVfp_8
参考MV: https://www.youtube.com/watch?v=9hjoR2cDr-o&feature=youtu.be

2015年8月7日金曜日

楽しい夜更し学校は休み



オイラは特別ナイアガラ・フリークではないけど、今回の 『NIAGARA MOON』40周年記念盤は、聴いていて泣きそうになった。なぜなら、77年のナイアガラ・ファースト・コンサートへ行っているし。高1の時だった。

そもそもナイアガラとの出会いは中学の時に聴いていたラジオ関東の「ゴーゴー・ナイアガラ」だ。鶴光のオールナイト・ニッポンの話ばかりが学校で話題の中、「ゴーゴー・ナイアガラ」の話をするのはバンドのメンバーだけだった。

オイラは中学の時に「ボインズ」というコピーバンドをやっていた。女にモテたいために。そのバンドで「楽しい夜更し」をコピーした。中3の文化祭、音楽教師にピアノを頼み、同級生のブラスバンド部の女子にも応援を頼んだ。どうせなら、歌詞を変えたいと、本番は歌詞を変える。「すぐに始まるマージャン」を「すぐに始まるシンナー」そして、「楽しい夜更し学校は休み」と。これが教頭の逆鱗に触れた。担任から呼び出され、注意を受ける。誰も聴いていないだろうと思ったら教頭がチェックしていた。何とか教頭に復讐したい、と思ったオイラは卒業式謝恩会で、関西弁を操る教頭に「教頭(京都)大阪帰りなさい」と歌ってやった。

そのバンド、キャロルのコピーもやったなぁ。いやだったけど、担任に頼まれた。ほとんど学校に来ない不良生徒がキャロル好きで、バンドのヴォーカルをやれば学校に来るだろう、と担任は考えたのだが、予想外にそいつは学校に来た。練習だけ。奴にはポマードの塗り方を教わった。

77年のナイアガラ・ファースト・コンサート。確か渋公に行く途中、電柱にはポスターが貼ってあったと思うんだよなぁ、オイラは何枚かパクッて来た記憶がある。隣の席の人に「君達いくつ?」と聞かれて、「16です」と答えたら、「若いのにいいね」と言われた記憶がある。というか、その人達だって20代だったハズだ。当時流行だったボーリング・シャツ(確か背中にはMACTH BOXの刺繍)着てコブラ・ツイスト踊って三ツ矢サイダーもらったのが一番うれしかった。中学時代はチャリで酒屋周りをして秋吉久美子と風吹ジュンの三ツ矢サイダーのポスターを探し回っていたからね。

今回、CDインナー写真に当時のチラシ、チケットが掲載されていて、なんだか少しだけタイムストリップ、いやタイムスリップした。

参考:https://www.youtube.com/watch?v=JKe8rzjSDPA&spfreload=10

2015年7月28日火曜日

日本の中のインドネシア曲


可愛いあの娘 /  梶 光夫
 
 
オイラがガキの頃に一番歌ったインドネシア語の歌は「モスラの歌」だろう。そして二番目がこの曲のオリジナルである「NONA MANIS」であった。いや、日本解釈盤。確か小学校低学年。オイラの父親は日本コロムビア川崎工場でレコードプレス工をしていた。その関係で、家には日本コロムビアのレコードがウジャウジャあったのだ。多分、この曲も家でかかっていたのだろう。歌えるほどだから相当なヘビロテだったのではないか。でも、今から思うと、梶 光夫じゃないよなぁ、たぶん、デユーク・エイセスかボニー・ジャックスの「世界の民謡集」みたいなレコードだったんじゃないかな..全詞インドネシア語ではないけれど、キャッチーなメロディと「ヤンプーニャン」という、どことなくガキには覚えやすい不思議な言葉がうけたんだろうなぁ。「モスラ~YA!モスラ~!」と同じで。
 
ところで、このレコードの存在は最近初めて知った。少し前までは、「日本で日本語メーンで歌われたインドネシア曲」「インドネシア語が少しでも使用された日本語曲」のレコードやCDを必死に探していたが、アホらしくてやめた。では、なぜこのレコを購入したかというと、東映映画「可愛いあの娘」の主題歌というではないか。もしかしたら、インドネシア人のNONA MANISが出演しているのかと、早合点した、トホホ...オヤジはいやだね。この曲が映画主題歌になるほどまでになった経緯を調べる気は毛根ないが..
 
父親はオイラが小学3年の時に日本コロムビア川崎工場を早期退職している。退職金がよかったみたいだ。あばら家だった家を新築するつもりでいたらしい。家を新築する前に大量のレコードがなくなっていた。オイラはレコードがなくなって泣いていたらしい。母親が言っていた。父親が亡くなって後年、母に聞いた話だと、当時、父親は退職後の再就職が思うようにいかず、レコードを処分して生活費に廻していたらしい。オイラは同じ道を今、歩んでいるではないか!父親がレコードを処分しなかったら、日本語で歌われたNONA MANISという曲に、もう少し詳しかったかもしれない。でも今、父親の気持ちが痛いほどわかるが..
 
可愛いあの娘 / 梶光夫 :https://www.youtube.com/watch?v=YjIQVJB_jzY
東映映画「可愛いあの娘」http://db.eiren.org/contents/03000009485.html 






2015年7月21日火曜日

G.Kのカセットを聴く!①



四半世紀を超えるオイラのインドネシア音楽人生において、こんなにもガンバン・クロモン(以下G.K)のカセットを聴くことは今までに一度もなかった。

オイラがJKTで手当たり次第カセットを漁っていた90年代初頭、メジャーなカセット屋では、すでにG.Kの古いカセットはほとんど店頭から姿を消していた。G.Kを専門的に録音してきたレーベル、PARAGONでさえ、運がよければ一本あるかないかだった。ブタウィ文化の象徴的な大衆音楽のG.Kのカセットがこれほどまでに入手できないJKT、時はダンドゥット全盛期だったとはいえ、納得が行かなかったのを思い出す。

G.Kのカセットが量産されたのは、レコードからカセット・テープに移行した70年代後半と想像する。しかし、いかんせん、マーケットが狭すぎる。ブタウィ人相手のビジネス。既にJKTはコスモポリタン化していた。地方から様々な人種が流入した時代、採算あわず消えていくレーベルもあって当然だったであろう。

では、90年代にG.Kのカセットが発売されなかったのか、というとそうでもない。が、良質なG.Kのアルバムは思い当たらない。そもそもG.Kという音楽はレノン・ブタウィと一緒に聴く&楽しむ音楽であった。それを聴く音楽に押し上げたのがベニャミンであったであろう。四六時中、ライブはおこなわれていただろうし、何もカセットをわざわざ買って聴く音楽でもなかった。いや、現在でもそうした大衆音楽なのかもしれない。ただ、オイラ達みたいに現地にいない立場の者にとってはカセットという媒体がなければ、この音楽にズブズブとハマれないのだ。

今回、プランテーションさんから購入させていただいたG.Kカセットの数々。殆どが70年代後半~80年代前半のものと思われる。当時の息づかいが聴こえる痛快なカセット群で何とも魅力的であるのだ。

2015年7月6日月曜日

<インドネシア・カセット学①>


ベニャミンの「DUIT(お金)」というカセットには伊藤博文の千円札が舞う。エルフィの良質なカセットを発売したレーベル、プルナマのカセット・ラベルには岩倉具視がしっかりとラベルに張り付いている。聖徳太子の一万円札がインドネシアのカセットに使われたのはオイラ、しらない。なぜなのか...当時の貨幣価値で聖徳太子の一万円を入手することに無理があったのか、それとも...解決したいインドネシア・カセット学なのだ。





 

参考ブログ:http://asiarecords.blog.so-net.ne.jp/2012-04-19

2015年5月24日日曜日

ダンドゥット・ビートルズを聴く。

 
 
世界に腐るほどあるビートルズのカバーアルバムだが、これほど知られていないアルバムも珍しいだろう。しかも、ダンドゥットだし。ある程度、ダンドゥットを聴いてないと面白さが伝わらいなだろうし、全曲、インドネシア語で、そういう訳をするのかというのもあるから、ビートルズ・ファンが聴いても大して面白くはないだろう。実際、腹をかかえて笑えるトラックはなかった。
 
 
でも、オイラがジャカルタの中古カセット屋で見たものとは違うんだよなぁ、このカセット。ジャケがぼろぼろの上、中身が見つからなかったので、あきらめた覚えがある...
 
O.M.Akustik Bangladesh 80"なんてオルケスは初めて聞く名だ。O.M.Bangladesh's Groupと言うのは知っているが。Pimpinan(リーダー)が両方ともUtjok Surodipuroという人なので同一のグループだろう。この企画のために編成されたものとも考えられる。この人がAransemen&Lirikも担当している。問題はVokalだ!何とMegi.Zの表記だ。ていうか、Megi.ZはMandolinでもクレジットされてる。あのMegi.Zかしら....う~ん、あまりMegi.ZのVokalには感じられないのだが、若いころだからわからないのかしら...疑問!
 
グループ編成はMandolin,Piano,Bass,Gendang Suling,Tamborin&Simbal,Maracas,Gitar Akustikである。注目はGendangがMadi .SとSulingがSukiであること、後にダンドゥットの優れたミュージシャンになる二人ではないだろうか、何も確証はないが。
 
ベストトラックはやはり、A-3のTinggalkan Saja(I Feel Fine)かな。グループ名をAkustikとしているから、基本エレキはない。マンドリンにエフェクターをかけたギターリフ真似がかなりオイラのツボだ。この辺はよく考えている。とにかくマンドリンが大活躍である。そういう選曲をしているんだろうなぁ。A-2のAkibat Berpacaran(No Reply) B-5のKampung Halaman(And I Love Her)ヒドイタイトル。B-5のTukisan Cintaku(Girl)オリジナル・タイトルでええやん。B-6のMichelle(ここはオリジナルに忠実、わけわからん)などは、その典型的なトラックだ。ピアノがいるくせにB-1のMeBlanie(Let It Be)のスケールを弾かず、マンドリンで始まるとか、B-2はJangan Lagi(Don't Let Me Down)なんてタイトルだし。何か聴いているうちにだんだん楽しくなってくる。B-3Air Mata Kekasih(Yesterday)のスリンが泣ける。いや~、ダンドゥット的な落としどころが笑える。話はつきない...
 
恐らく二度と日の目を見ることはないビートルズ・カバーのカセットだが、楽しませてもらった。本作を提供してくださった、プランテーション店長に感謝したい。
 


2015年5月23日土曜日

ロカナンタのカレンダーがあったのか!!



オイラが敬愛するタルリン音楽界の重鎮、Abudl Adjib率いるPutra Sangkalaのロカナンタ録音のカセット。ヴォーカルはAbudl Adjibとオイラの大好きなUun Kurniasihだ。正直、Abudl AdjibとUun Kurniasihの作品はロカナンタ録音よりもDIANレーベル録音の方が、エグイ作品が数多くあって好きだ。では、なぜこのカセットを取り上げたか。ずばり、ジャケットだ!こんな大事なジャケットを見逃すところだった。Abudl AdjibとUun Kurniasihがやっているワルンという設定だろうか。なかつむまじいふたりが、カウンターの中に入って、常連客が好き放題歌っている。と、まぁ、普通はここで終わりなのだが....

問題は、Abudl Adjibの隣にかかっているカレンダーだ!LOKANANTA RECORDINGと表記されている。まさか、このジャケのためだけにカレンダーはつくらねぇだろ。しかも写真入り!誰だか確認はできないのが残念。カレンダーだから少なくても12人の歌手がカレンダーになっている可能性がある!これはインドネシアのレコードを愛する者にとっては大事件だ。国営レーベルのカレンダーにどんな人が選ばれているのか、当時のスタッフの嗜好もあり、売上、云々に関係なくても、一応、インドネシア音楽の歴史を刻んでいるレーベルだし。

果たして、このカレンダーが実在するのか、興味津々である。

2015年1月12日月曜日

ダンドゥット・コンサートを体験



3月号の「総括 94年インドネシア音楽シーン」及び「海外ニュース」でT氏が報告されていた94年大晦日のロマ・イラマのコンサートを体験してきた。タマン・ミニ内に作られた特設ステージ前に集まった大観衆を見て「ロマ・イラマ今なお健在なり」の現状をまざまざと見せつけられた感じだった。

22時過ぎから登場した彼のステージは「ヘイ・アパカバール」から最近のアルバム「ラナ・ドゥカ」「シファナ」からの曲を中心に新曲「ストレス」をおりまぜ、重量感のあるソネタ・グループのバックと一体となり怒涛のごとく展開し、ステージ横でビデオを撮る僕の手もさすがにこの状況を目の前にして震えが止まらなかった。特に新曲である「ストレス」はカセットよりも何倍もの迫力ある演奏力で圧倒された次第。

途中、ロマを含むソネタをバックに最近御無沙汰のインタン・アリとヌル・ハリマが(0時を過ぎ)登場。インタン・アリ(なんと太ったことか)は、本家カメリア・マリクを揺さぶる「リンドゥ・ブラッド」とロマのアルバム「シファナ」でインドの大歌手ラター・マンゲシュカールも取り上げていた「マワール・メラ」他を熱唱し、まだまだ歌唱力が衰えてないことを証明してみせた。もう一人のヌル・ハリマは自らのヒット曲「ジャヌール・クニン」とエルフィの「スンガジャ」の2曲を披露。特に「ジャヌール・クニン」という曲は、僕がインドネシア滞在時に見たライブ(ダンドゥット・ディスコも含め)で必ずとりあげられていた曲で、94年にファザル・ダスが送り出した曲の中でもとりわけヒットした曲ではないだろうか。そのことを本人に会った時に確認しようと思ったのだが、舞い上がってしまい聞きそこねてしまった。

ヌル・ハリマが終了後、1時近くなりお馴染の「インシャラ」を出演者総出で大合唱、無事何事もなくフィナーレを迎えた。個人的には日本公演も体験し、クアラルンプールでのライヴを収録した「ライヴ・ショウ」のカセットも愛聴し心の準備はできていたのだが、10万人の大観衆の熱気とロマ&ソネタが放つ歌とサウンドの強烈な磁力のようなものに身体も心も支配されていたかのようなコンサートだった。

その興奮も冷め止まぬ10時間後、同じタマン・ミニ内にある野外ステージに今度はリタ・スギアルトのライヴに出向いた。元旦ということもあってか、これ以上入場するのは無理というくらいの観客で埋め尽くされ一触即発のムードが漂うなかでのコンサートだった。前座で出たミルナワティもさすがにこの雰囲気には嫌気がさしていたようで、その興奮はリタの出番で頂点を迎え、軍の人(銃を所有)の警備が手薄になった後半部などは何が起こってもおかしくない状態だった。

そんな中、リタのステージは安くない入場料を払った大観衆の期待を裏切らない素晴らしいできだった。既にカセットで証明済みの歌唱力はライヴでも健在で、特に「パチャール・ドゥニア・アクヒラット」は他のライヴでもいろいろな歌手が取り上げていたが、当人の歌ということを除いても格段の差があった。これ程の本格派はエルフィ以外には考えられないが、T氏が「総括」の中でふれていたテレビを見てちょっと心配している一人である(もっと心配なのはヘルリナ・エフェンディだが)。

ロマ、リタ以外には、前後するが12月18日にスラバヤでイイス・アリスカ、25日にタマン・ミニでケンデデス、プライベートであるが、ロマの親戚すじにあたるカリド・カリム率いるカリーザの練習風景も覗いてきた。今が旬のエフィ・タマラ、イッケ・ヌルジャナ、フェティ・フェラ、リリス・カルリナといった人達は日程が合わず涙をのんだ。

ここでお知らせがある。東京ワールド・ミュージック内にダンドゥットを中心にインドネシア音楽の情報交換を行うサークル「マラム・インドネシア」を作り活動している。既にA4紙2枚の簡単な情報誌を季刊で発行する傍ら「LAGI-LAGI-DANGDUT」と題したダンドゥット・パーティ、「ワルジナをもっと知ろう」「地方ポップスを楽しもう」「SP盤で知る50年代のポップス」他様々な形でのレコード・コンサートも主催してきた。興味のある方は東京ワールド・ミュージック・クラブSまで(連絡先はペーニャス参照)。1995年「ラティーナ」誌5月号「オピニオン」に投稿。



トホホ...90年代、オイラは音楽雑誌への投稿魔だったのか...約20年前のことだが、いま読み返すとちょっと面白い。個人名はアルファベットにした。写真は当時、使われていない。今回新たに添付した。もっといい写真があったと思うが、何せ20年前だから...

「T氏が「総括」の中でふれていたテレビを見てちょっと心配している一人である」の部分、よくわからい。多分、リタ・スギアルトのお子さんが亡くなったので、彼女を心配しているのではないか。

イッケ・ヌルジャナ、フェティ・フェラ、リリス・カルリナはスラバヤで日程が合わず見損なったのを覚えている。

2015年1月10日土曜日

エル・スールレコーズ隅々見聞録 4

 
 
1/9日、結局、エルスールがOPENしたのは17:20分だった。店長、お風邪をめしていますた。
 
取り置きをしていたアルジェリアの大好きな歌手AIT MENGUELLET(左下)を取りに行ったのだが、意外な発見物があって、約50分待って入店した甲斐があった。
 
TTM(右下)はテティ・スパンガット、マミエッ・プラシトリスミ、トゥティ・マルヤティの3人による熟女クロンチョン・アルバム。TUTI MARYATI / ALBUM KERONCONG ABADI VOL.1はナイスなアルバムだったし。ジャケもいいんだよなぁ、オイラ、クバヤ着た熟女大好きだからね。まぁ、知られた曲が多いけど。オイラが注目したのはKoko Tholeが作曲、アレンジャーで参加していること。インドネシア音楽ファンには90年代~00年代初頭までポップ・ジャワの良質なアルバムを発表していたことでも知られていた人物。その後、音沙汰なしだったが、たまたまyoutubeで観たインドネシアTV番組 “グビャール・クロンチョン”(TVRI)の動画で彼の演奏(キーボードだったかな)を見て、「お、まだ頑張ってるやん、アルバムださんか!」と何年も思っていた。本作では2曲で参加。8曲目の″Keroncong Goyang"は彼らしい曲だ。ほか、アレンジャーは2人。歌手の歌唱力は申し分ないから、こういう知られた曲のアルバムはアレンジャー次第、まずまずの出来だと思う。
 
Mizikopeyi(上)はLIVE DVDで、Tony Chasseurと Thierry (Piano)によるjazz créole Big Bandだ。ビギンもあればチ・エミールやユジーヌ・モナの曲を歌ったBeleな曲もある。スタジオ盤があるのかしらないが、統率のとれたBig Bandのライブは楽しい。店長も言っていたが、Tony Chasseurが時折、ティト・ロドリゲスに見えるのも面白い。しかし、Tony Chasseur歌うまくなったなぁ、MALAVOI日本公演の時は、「ズーク界の貴公子」ナヨナヨ系だったけど、オヤジになって魅力が増した。ポスト・ラルフ・タマールと言っても過言ではない。ボーナスでMV付。
 
 
 
 
さんざん迷ってパスしたのがコイツ。2010作(右)はよかったんだけどなぁ。まず、ジャケがいや。なんちゃってプリンスというか、下品というか。1曲目のカダンスみたいな曲は笑い、MALAVOI風の曲もあったりもしたけど、決め手になる曲がなかったのが残念。次作に期待したい。
 
やっぱりAIT MENGUELLETが一番いいってことよ。
 
 
 

2015年1月2日金曜日

2014年中古インドネシア・カセットベスト10



2014年も沢山のインドネシア中古カセットを聴いた。まずはプランテーション店長に感謝。まだまだどんな作品があったのかは未知の世界だが、本年もプランテーション店長には面白い発掘をお願いしたい。

①O.M.SINAR DELI(左順)

レコードが少なく、幻の歌手と日本のインドネシア音楽ファンからは言われているEma Gangga。彼女が7曲も歌っているという珍盤。ジャケでヴァイオリンを弾いているのが彼女だろうか。プランテーション店長も言っていたが、ムラユ音楽を通り越してインド洋まで通じているような音展開と歌。インドネシア音楽の深層に触れて身震いした。

②POP MELAYU SINAR KUMALA

CD化されたロカナンタ作品が入荷したりと、嬉しい2014年だったが、既に音源としては知られていたそれらの作品より、本作には驚かされた。ポップ・ムラユと表記しておきながらも演奏の方はかなりラウンジ・テイストを収めた16曲。自らの楽曲をここまで違ったアレンジで聴かせるグループも珍しい。すでにイダ・ライラは在籍してないがYenny Tofanyが歌う”Keagungan Tuhan"は出色の出来栄えだ。

③HEI ! HEI ! KETEMU LAGI / O.M.NBARA

はじめて知るO.M.でリーダーのNAJEEB.B.という人も全く知らない。破天荒なギターのカッティング他、およそオイラが知らない荒削りなダンドゥットを展開する。70年代後半だろうか。このO.Mは今後も要チェックだろう!

④IDA ROYANI / HIT ALBUM

まさか、大好きなイダ・ロヤニが「ナショナルの歌」を歌っていたとは、驚愕した。
♪Berseri National Bercahaya National Radio Televisi Dan segalanya National♪...合弁会社のテーマ曲だったんだろうなぁ。当時この曲を聴いた邦人は覚えているだろうか...ComposerはA.RYANTOだ。

⑤WALJINAH / POP JAWA

2014年に入手したワルジナのカセットではこれが一番。100本以上もカセット持っていても、このカセットには出会ったことがない。NAGA KEMBARなんてレーベル初めて知ったし。IS HARYANTOのアレンジが摩訶不思議。この人、こんなアレンジもするんだと妙に感心してしまった。

⑥WIWI SUMBOGO / APANE DONG

これまた、オイラの大好きなインドネシアの歌手、ウイウイ・スンボゴのカセットだけど、実はアルバム内に収められてるワルジナさんのダンドゥットが絶品。歌手名が全くなく、聞き逃すところだった。こういういい加減さには慣れてるけどね。表題曲”APANE DONG”はアパニャ・ドンのジャワ語ダンドゥット・バージョン。ウイウイの歌も悪くないんだけど、ワルジナさんにはかなわない。

⑦ADIS S.T.SATI SAWIR S.T.MUDO / Aneka Saluang Pop

ミナンカバウのSaluang(かすれ系の竹笛)の存在を知ったのは、90年代初頭。すでにダンドゥット化されたSaluang Dangdutのカセットが氾濫していた。パダンのカセット屋を覗いてもそれは同じ状況だった。本作はSaluangがダンドゥット化される以前のポップ・ミュージックの中のSaluangが聴ける貴重なカセットだと思う。タルリンがそうであったように、ダンドゥット化される以前の地方ポップスの面白さがこの作品には充満している。

⑧GAMBANG KROMONG NAGA MUSTIKA / SEPAK BOLA

2014年はそこそこガンバン・クロモンのカセットを聴いたが、一歩抜きんでたのが本作だ。大好きなNAGA MUSTIKAというのもあるけど、ポップでありつつ、濃厚な世界も垣間見れるナイスな作品だ。表題曲がサッカーネタなのもいい

⑨TITIEK PUSPA / OTOBIOGRAFI DENGAN 18 LAGU HITNYA

ティティック・プスパのヒット曲をMus Mualim Orchestraのアレンジで聴かせる好盤。そもそも楽曲がいいからOrchestraアレンジでもそん色ない。いや、新しい魅力が加味された感じも大いにある。CD化してほしいが、マスターは当然ないだろうなぁ。

➉O.M.OMEGA

はっきり言ってジャケットです。エルフィがこんなグラサンかけたジャケ見たの初めてなので....

②③④⑤⑥⑨については、オヤジレコードで聴くことができます。興味のある方はどうぞ。
https://www.youtube.com/channel/UCKJJ2LkFt76EWwby2EkjgrQ